岡山 観光・文化ガイド

来日前に出会う、その土地の観光地・文化・名所

文化・伝統 📍 岡山県 🏷️ 民話の登場人物🏷️ 文学の登場人物
桃太郎
桃太郎(ももたろう)は、日本のおとぎ話の一つ。桃の実から生まれた男子「桃太郎」が、お爺さんお婆さんから黍団子(きびだんご)をもらって、イヌ・サル・キジを家来にし、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く物語。 == 内容から == 桃太郎物語は、以下のような粗筋のものが「標準型」となっている。 この「標準型」とは明治から現在に至り教科書や絵本を通じて普及した「桃太郎」を指す。作品によって場面ごとの違いはあるが、どの書籍でも桃太郎側の視点での勧善懲悪物語となっている。 === 異本 === より古い系統の桃太郎説話は、この「標準型」とは異なるものである。とりわけ桃太郎の出生に関しては、桃から生まれたとする型(「果生型」)が今や一般的だが、これは19世紀初頭にはじめてみられるもので、それまでの草双紙では桃を食べたお爺さんお婆さんが若返り出産する型(「回春型」)が主流だった。 === 口承文学の異伝 === 口承話では「果生型」が多いとされている。 その他、桃太郎の誕生の仕方については<赤い箱と白い箱が流れて来て、赤い箱を拾ったら赤ん坊が入っていた>など差異のあるものが多数伝わっている。赤い手箱と黒い手箱の場合や、箱の中に桃が入っている場合も、特に東北や北陸を中心に確認できる。
📍 岡山県 🏷️ 日本の城🏷️ 山城 ⭐ 重文⭐ 日本国指定史跡
備中松山城
備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)は、岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)。別名高梁城(たかはしじょう)。松山城(まつやまじょう)と呼ばれることもあるが、各地にある同名の城との混同を避けるため、国名を冠して備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)と呼ぶのが一般的である。 日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、日本で唯一現存する山城でもある。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。 == 概要 == 城のある臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の城下町から約1,500m、1時間ほどの道のりがある。この城は戦に備えて建設された「詰の城」であり通常はあまり使われていなかったと思われる。 江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 美術館
大原美術館
大原美術館(おおはらびじゅつかん)は、岡山県倉敷市にある美術館で、公益財団法人大原芸術財団が運営する、日本初の私立西洋美術館である。 倉敷美観地区の中心部で、2003年には分館が、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている。 2024年4月より運営財団は、公益財団法人大原美術館から、大原芸術財団に改称され、倉敷考古館(1950年11月開館)の運営も兼ねている。 == 沿革 == 館長は西洋美術史家の三浦篤。財団代表理事は大原あかね(理事は全9名)、父の大原謙一郎は評議員(全9名、猪木武徳ほか)。 日本博物館協会会員館。岡山県博物館協議会加盟館。博物館法に基づく岡山県教育委員会登録博物館である。2022年、第3回日本博物館協会賞受賞。 === 創設 === 大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年–1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年–1929年)に託して収集した西洋美術、古代エジプト美術・中近東美術、中国美術などの作品を展示するため、1930年に開館した。
文化・伝統 📍 岡山県 🏷️ 鬼
温羅
温羅(うら/おんら)は、岡山県南部の吉備地方に伝わる古代の鬼。 本項では温羅の解説とともに、温羅と吉備津彦命に関する「温羅伝説」についても解説する。 == 概要 == 温羅とは伝承上の鬼・人物で、古代吉備地方の統治者であったとされる。「鬼神」「吉備冠者(きびのかじゃ)」という異称があり、伝承によると吉備には吉備津彦命(きびつひこのみこと)が派遣され退治されたという。 伝承は遅くとも室町時代末期には現在の形で成立したものと見られ、文書には数種類の縁起が伝えられている。また、この鬼退治伝説は桃太郎伝説の原型に当たるとの説もある。 == 内容 == 伝承によると、吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたが、温羅はヤマト王権が派遣した武将から逃げおおせて倒せなかった。このため崇神天皇(第10代)は孝霊天皇(第7代)の子で四道将軍の1人の五十狭芹彦命を派遣した。 討伐に際し、五十狭芹彦命は現在の吉備津神社の地に本陣を構えた。温羅に対して矢を1本ずつ射たが温羅はその都度石を投げて撃ち落とした。
観光名所 📍 岡山県 🏷️ 現存しない建築物または構造物🎡 テーマ・パーク
倉敷チボリ公園
倉敷チボリ公園(くらしきチボリこうえん)は、かつて岡山県倉敷市寿町(JR倉敷駅北口前)に所在した公園、都市型テーマパークである。1997年(平成9年)7月18日開園、2008年(平成20年)12月31日閉園。倉敷駅に隣接する旧倉敷紡績(クラボウ)万寿工場の跡地12ヘクタールを使用し、古く長い歴史を持ち、世界的にも著名であったデンマークのコペンハーゲンにあるチボリ公園からデザインやノウハウを継承したテーマパークであった。11年6か月の営業期間で約1,800万人が来園した。 倉敷チボリ公園は「幼児からお年寄りまであらゆる人びとが心にゆとりをもち、人と人とがふれあえる公園、すなわちハートフルな公園を創ること」を理念に掲げ、園内には5万本の樹木と250種90万株の植物が植栽され、15か所の噴水、1000脚のベンチが設置された、緑覆率45%という緑の多いテーマパークであった。園内にはデンマークやアンデルセンをイメージしたアトラクションや庭園、ショップ、レストラン、劇場などが点在していた。また、デンマークの自然や歴史、文化を学ぶための教養施設も複数展開された。 閉園後、跡地はクラボウに返還され、アリオ倉敷、三井アウトレットパーク 倉敷、倉敷みらい公園として再開発されている。 == 園内 == シンボルは中央の「プレーネン広場」に接した「チボリタワー」と観覧車「チボリバルーン」。また「アンデルセンホール」や「カルケバルン劇場」などのホールがあり、アンデルセンホール前に「チボリ湖」と称する池が存在していた。
文化・伝統 📍 岡山県 🏷️ 葡萄品種
マスカット・オブ・アレキサンドリア
マスカット・オブ・アレキサンドリア (Muscat of Alexandria) は、ブドウの品種の一つで、マスカットの一種である。日本国内でいう「マスカット」とは、マスカット・オブ・アレキサンドリアのことである。 == 概要 == 北アフリカ原産の非常に古い品種で、ローマ帝国時代、エジプトのアレキサンドリア港から地中海各地に広がった。淡黄緑色(エメラルド色)の長円形の大粒の実をつけ、甘みが強く、強いマスカット香が特徴である。「ブドウの女王」の異名を持つ。スペイン、イタリア、南アフリカでは、生食として、南ヨーロッパ、アフリカ、南アメリカ、カリフォルニア、オーストラリアでは、ワインの原料として利用されている。ボリビアでは、マスカット・オブ・アレキサンドリアのワインを元に作られる蒸留酒・シンガニが国内で広く親しまれている。 日本では、生食が主であるが、時折ワインが作られる他、果汁などはアイスクリームや清涼飲料水、ゼリー、和菓子などに使われる。 品種としては紀元前より現在に至るまで連綿と続く非常に古いものであるが高級品種であり続けている。品種改良においては、甘味の基となるため、マスカット・オブ・アレキサンドリアから多くの品種が生み出されている。
📍 岡山県 🏷️ 神籠石系山城 ⭐ 日本国指定史跡
鬼ノ城
鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん)に築かれた、日本の古代山城。廃城であるが、城壁や西門などが復元されている。 城跡を含む「鬼城山」は1986年(昭和61年)3月25日、国の史跡に指定された。2006年4月6日に日本城郭協会が選定した、日本100名城(69番)に選定されている。 温羅伝説の舞台としても知られる。 == 概要 == 大和朝廷は倭(日本)の防衛のために、朝鮮半島に向き合う対馬から畿内に至る要衝に様々な防御施設を築いている。鬼ノ城は史書に記載が無く、築城年は不明であるが、発掘調査では7世紀後半に築かれたとされている。 鬼ノ城は、吉備高原の南端に位置し、標高397メートルの鬼城山の山頂部に所在する。すり鉢を伏せた形の山容の7〜9合目の外周を、石塁・土塁による城壁が鉢巻状に2.8キロメートルにわたって巡る。城壁で囲まれた城内の面積は、約30ヘクタールである。
文化・伝統 📍 岡山県 🏷️ 経済産業大臣指定伝統的工芸品
備前焼
備前焼(びぜんやき)は、岡山県備前市周辺を産地とする陶磁器。日本六古窯の一つに数えられる。備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」との別名も持つ。同地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は備前焼の窯のものである。 == 歴史 == 備前市南部から瀬戸内市、岡山市内には古墳時代から平安時代にかけての須恵器窯跡が点在し「邑久古窯跡群」と呼ばれている。この須恵器が現在の備前焼に発展したといわれている。「邑久古窯跡群」で最初に築かれた窯は瀬戸内市長船町の木鍋山窯跡(6世紀中頃)で、7世紀後半~8世紀初頭になると瀬戸内市牛窓町の寒風古窯跡群周辺から瀬戸内市邑久町尻海周辺に窯が築かれる。 8世紀になると備前市佐山に窯が築かれ始め12世紀になると伊部地区に窯が本格的に築かれ始め独自の発展へと進んでいった。 鎌倉時代初期には還元焔焼成による焼き締め陶が焼かれる。鎌倉時代後期には酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が焼かれる。
観光名所 📍 岡山県 🎡 遊園地
ブラジリアンパーク 鷲羽山ハイランド
鷲羽山ハイランド(わしゅうざんハイランド)は、岡山県倉敷市下津井吹上にあるブラジルをテーマにした遊園地。以前のキャッチコピーは「瀬戸大橋の見える遊園地」。現在は「ブラジリアンパーク・鷲羽山ハイランド」。 == 概要 == もともとはドライブインであった。1970年に鷲羽山スカイライン(現岡山県道393号鷲羽山公園線)が開業したことにより遊園地として1971年8月13日開業。その後ボウリング場が設置され、1973年にジェットコースターや観覧車、展望タワーなどが設置された。1986年に敷地を広げ、つくば万博より移設したスタンディングコースターなど4つのジェットコースターをはじめ各種絶叫マシンも備えた遊園地としてリニューアル。1987年より、ブラジルサンバショーが始まる。ブラジルメンバーは徐々に名物として定着していき、2006年よりブラジリアンパークとしてリニューアルするに到る。これは創業者である永山久がブラジルで見たサンバショーに感銘を受け、そのまま約30名で構成される現地のプロサンバチームを日本に連れて帰ったことに由来する。
文化・伝統 📍 岡山県 🏷️ 美術展覧会🏷️ 芸術祭
瀬戸内国際芸術祭
瀬戸内国際芸術祭(せとうちこくさいげいじゅつさい、英題:Setouchi Triennale)は、瀬戸内海の島々と沿岸部を舞台に3年に1度開催される現代美術の国際芸術祭である。略称は「瀬戸芸」。2010年に第1回が開催され、2025年に第6回が開催された。 == 概要 == 瀬戸内国際芸術祭は、「海の復権」をテーマに掲げ、美しい自然と人間が交錯してきた瀬戸内の島々に活力を取り戻し、瀬戸内が地球上のすべての地域の「希望の海」となることを目指す芸術祭である。来訪者はアートを道しるべに島々を巡りながら、アーティスト、地域住民、ボランティアサポーターらと交流し、瀬戸内の景観、自然、歴史、文化、生活、産業、食などの魅力に触れることができるとされる。 会期は春・夏・秋の3シーズンに分けて設定されるのが通例である。第6回の2025年は春会期(4月18日 - 5月25日)、夏会期(8月1日 - 8月31日)、秋会期(10月3日 - 11月9日)の3会期、計107日間で開催された。同年は全17エリアで展開され、全会期会場に加えて、季節限定で公開されるエリアも設けられた。 == 各回内容 == === 第1回(2010年) === 副題 - アートと海を巡る百日間の冒険 主催 - 瀬戸内国際芸術祭実行委員会 会長 - 浜田恵造 名誉会長 - 真鍋武紀 総合プロデューサー - 福武總一郎 総合ディレクター - 北川フラム 実行委員会事務局長 - 工代祐司 開催期間 - 2010年7月19日 - 10月31日(105日間) 会場 - 高松港周辺、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島 参加 - 18の国と地域から75組のアーティスト・プロジェクト、16のイベントが参加した。 来場者 - 延べ約94万人 === 第2回(2013年) === 副題 - アートと島を巡る瀬戸内海の四季 主催 - 瀬戸内国際芸術祭実行委員会 会長 - 浜田恵造 総合プロデューサー - 福武總一郎 総合ディレクター - 北川フラム 開催期間 春:2013年3月20日 - 4月21日(33日間) 夏:2013年7月20日 - 9月1日(44日間) 秋:2013年10月5日 - 11月4日(31日間) 会期総計:108日間 会場 - 高松港周辺、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島、宇野港周辺 来場者 - 延べ約107万人 === 第3回(2016年) === 主催 - 瀬戸内国際芸術祭実行委員会 会長 - 浜田恵造 総合プロデューサー - 福武總一郎 総合ディレクター - 北川フラム 開催期間 春:2016年3月20日 - 4月17日(29日間) 夏:2016年7月18日 - 9月4日(49日間) 秋:2016年10月8日 - 11月6日(30日間) 会期総計:108日間 会場 - 高松港周辺、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島(春のみ)、本島(秋のみ)、高見島(秋のみ)、粟島(秋のみ)、伊吹島(秋のみ)、宇野港周辺 来場者 - 延べ約104万人 === 第4回(2019年) === 主催 - 瀬戸内国際芸術祭実行委員会 会長 - 浜田恵造 総合プロデューサー - 福武總一郎 総合ディレクター - 北川フラム 開催期間 春:2019年4月26日 - 5月26日 夏:2019年7月19日 - 8月25日 秋:2019年9月28日 - 11月4日 会場 - 高松港周辺、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島(春のみ)、本島(秋のみ)、高見島(秋のみ)、粟島(秋のみ)、伊吹島(秋のみ)、宇野港周辺 来場者 - 延べ約118万人 === 第5回(2022年) === 主催 - 瀬戸内国際芸術祭実行委員会 会長 - 浜田恵造 → 池田豊人 総合プロデューサー - 福武總一郎 総合ディレクター - 北川フラム 開催期間 春:2022年4月14日 - 5月18日 夏:2022年8月5日 - 9月4日 秋:2022年9月29日 - 11月6日 会場 - 高松港周辺、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島(春のみ)、本島(秋のみ)、高見島(秋のみ)、粟島(秋のみ)、伊吹島(秋のみ)、宇野港周辺 来場者 - 延べ約72万3千人 コロナ禍の中で開催され、感染対策が実施された。
神社 📍 岡山県
吉備津彦神社
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、岡山県岡山市北区一宮にある神社。備前国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。 近年、別称を「朝日の宮(あさひのみや)」と称す。 == 概要 == 岡山市西部、備前国と備中国の境に立つ吉備の中山(標高175m)の北東麓に東面して鎮座する。吉備の中山は古来より神体山として信仰されており、北西麓には備中国一宮・吉備津神社が鎮座する。当社と吉備津神社とも、当地を治めたとされる大吉備津彦命を主祭神に祀り、命の関係一族を配祀する。 大化の改新を経て吉備国が備前・備中・備後に分割されたのち、備前国一宮として崇敬された。中世以後は、宇喜多氏、小早川秀秋、池田氏など歴代領主の崇敬を受けた。 なお敷地内に岡山県道700号岡山総社自転車道線(吉備路自転車道)の指定路が含まれているため、同県道が南北の両鳥居を潜り随身門の前を通過する形で本社敷地内を横断している。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 鉄道博物館
津山まなびの鉄道館
津山まなびの鉄道館(つやままなびのてつどうかん、英語:Tsuyama Railroad Educational Museum)は、岡山県津山市にある鉄道に関する事物を展示する博物館(鉄道保存展示施設)である。 西日本旅客鉄道(JR西日本)および公益社団法人津山市観光協会が旧津山扇形機関車庫をリニューアルして、2016年(平成28年)4月2日に岡山県津山市の津山駅構内に開館した。 == 概要 == 津山機関区の施設として1936年に建設された扇形機関車庫が、津山駅に隣接した旧機関区用地で現在も使用されており、現役を引退した静態保存車両を展示する鉄道保存展示施設としても活用されている。 扇形庫は、奥行が22.1 mで17線あり、現存する施設としては京都市にある梅小路運転区(京都鉄道博物館)の扇形庫に次いで日本で2番目の規模である。また、経済産業省の近代化産業遺産(対象は機関車庫と転車台)、社団法人土木学会が選定した「日本の近代土木遺産 −現存する重要な土木構造物2800選」及び、岡山県教育委員会が選定した「岡山の近代化遺産」に指定されている。 津山鉄道部時代の2007年から、同扇形庫と隣接する旧津山機関区事務所を利用した「懐かしの鉄道展示室」が一般公開(不定期、予約制)されていた。2014年は4月12日(土)から11月16日(日)までの第2・第4(土曜日・日曜日)を中心に計38日間実施された。また、2014年からの展示では、転車台に車両を載せた状態で、実際に回転させている。なお、車両は月ごとに異なる車両となる。 2015年2月26日 - JR西日本岡山支社は施設のリニューアルを発表し、2014年に閉館した交通科学博物館に保存されていたD51形蒸気機関車、DD13形ディーゼル機関車、DF50形ディーゼル機関車を移設・展示することが明らかになった。
神社 📍 岡山県 🏷️ 式内社🏷️ 国幣社 ⭐ 重文
中山神社
中山神社(なかやまじんじゃ)は、岡山県津山市一宮にある神社。式内社(名神大社)、美作国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 社名は現在「なかやま」と読むが、かつては「ちゅうぜん」「ちゅうざん」と音読みしていた。別称として「仲山大明神」や「南宮」とも。 == 祭神 == 祭神は次の3柱。これらは『中山神社縁由』に基づく。 主祭神 鏡作神(かがみつくりのかみ) 相殿神 天糠戸神(あめのぬかどのかみ) 石凝姥神(いしこりどめのかみ) 『延喜式頭注』には大己貴命、『作陽誌』には吉備武彦命、『大日本史』や『神祇志料』には吉備津彦命と記されている。他に金山彦命とする説もある。『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では、当社の祭神は猿神であるとされている。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 美術館
林原美術館
林原美術館(はやしばらびじゅつかん、Hayashibara Museum of Art)は、岡山県岡山市北区の岡山城址にある岡山県の登録博物館。一般財団法人林原美術館が運営を行っている。 2024年現在、長瀬玲二が代表理事を、谷一尚が館長を務める。 == 概要 == 実業家・林原一郎(1908年 - 1961年)の死去に際し、刀剣を中心にした古美術コレクションをもとに1961年に財団法人を設立、1964年に岡山美術館として開館した。その後岡山県立美術館設立に伴い、同館開館に先立ち1986年に現名称に改称した。 林原コレクションの他に岡山藩主・池田家の伝来品も収蔵している。池田家伝来品には能装束・狂言装束など能・狂言に関係する優品が多いことで知られる。国宝の「太刀 銘吉房」や「洛中洛外図」(池田本)などが代表的な収蔵品である。 なお、当館収蔵の「平家物語絵巻」(越前松平家伝来)は、国内に現存を確認されている唯一の完本であり、富士通ソーシアルサイエンスラボラトリによってCD-ROM化されている。 2011年に美術館の母体である林原が経営破綻により長瀬産業の子会社となったことで、美術館の移管が検討されたが引き受け先が見つからず、2015年に長瀬産業傘下の林原によって引き続き美術館支援が継続されることになった。
神社 📍 岡山県 🏷️ 国幣社🏷️ 論社
石上布都魂神社
石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)は、岡山県赤磐市にある神社。式内社、備前国一宮。旧社格は郷社。 == 祭神 == 現在の祭神は以下の1柱。 素盞嗚尊 明治時代までは、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの剣である布都御魂と伝えられていた。明治3年(1870年)の『神社明細帳』では神話の記述に従って十握剣と書かれている。 大正三年に公刊された『大和志料』が収録している「石上振神宮略抄」という資料には、 布留宿禰は春日臣と同祖にて、天足彦国押人命七世孫米餅搗大使主命の三子、市川臣は十三代成務天皇の御世に、石上振神の乞言によりて物部連に代て神宮の神宝を治しめ神府の典やくに補す。仍て物部首の氏姓を賜う。 十七代仁徳天皇御宇、市川臣に勅して吉備神宮に祭る天羽々斬剣を石上振神宮に遷し蔵め加え祭る云々。 となっている。
文化・伝統 📍 岡山県 🏷️ 麺料理🏷️ ホルモン焼き
ホルモン焼きうどん
ホルモン焼きうどん(ホルモンやきうどん)は、兵庫県佐用郡佐用町および岡山県の美作地方中東部(津山市など)の名物料理。佐用町は2003年から、津山市は2008年からそれぞれご当地グルメとして売り出し、町の活性化を試みている。通称「ホルモンうどん」とも呼ばれる。 津山市のホルモン焼きうどんは、2011年のB-1グランプリでシルバーグランプリ(第2位)を獲得している。 == 概要 == 鉄板焼きの焼きうどんの一種で、具材にホルモンを多く使用し、タレをかけて焼く。 津山市内の鉄板焼きの店では、ほとんどの店がホルモン焼きうどんを提供している。味噌味、ソース味、たくさんの野菜と合わせた物など店によってバラエティに富んでいる。 == 歴史 == 兵庫県の佐用町から岡山県の北部にかけての山間部地域は古くから畜産業が盛んであり、農耕用に利用されていた和牛の改良を行い「作州牛肉」と呼ばれる優れた和牛血統を創出してきた。津山市には食肉処理センター(屠畜場)があるため、新鮮なホルモン(内臓肉、もつ)の入手が容易で安価でもあったことから、市内の飲食店では多くの「ホルモン料理」を提供している。(ホルモン焼きも参照) これにお腹を満たすために、同じく安価なうどんを一緒に焼いたことで、ホルモン焼きうどんが誕生したのではないかと考えられている。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 歴史的家屋の博物館 ⭐ 登録有形
西江邸
西江邸(にしえてい)・西江家住宅は、岡山県高梁市成羽町坂本に現存する江戸中期の代官御用所。国の登録有形文化財。 == 歴史 == 西江家は、家譜によると坂東八平氏のひとつ三浦義明氏嫡流の出自であり、鎌倉時代は北面の武士をしていた。応仁の乱を経て室町末期より京都から当地に居住し、山城を守る武士となる。戦国時代より毛利氏に臣従し、初代・西江大蔵清成は、天正の戦乱で武功をあげ、天正10年に毛利輝元(書状あり)より二百町歩の土地を与えられた。その後、関ヶ原の戦いでの毛利氏敗退により、武士を捨て帰農した。当時より郡中惣代庄屋を務め、豪農商ではあったが、一般農家では門を構えること自体許可されておらず、西江家楼門は、天領地を任されていた格式を示すものである。 == 施設 == 県道33号線沿いから少し坂を上ったところに位置し、現在も個人宅として維持管理されている。現在で18代目となる。6代目兵右衛門が宝暦年間(1751年 - 1761年)、本山鉱山から採掘された鉄鉱石より、日本で初めて弁柄(酸化第二鉄)の製錬に成功した。
神社 📍 岡山県
星神社 (岡山市)
星神社(ほしじんじゃ)は、岡山県岡山市北区真星(まなぼし)の星神山山頂にある神社である。並列した社殿に浮霊前角社を祀る。社格は村社。 == 由緒 == 奈良時代、この地で夜に突然光り、地響きが発生した。その後35日間星神山の山頂が雲に覆われ、さらに山中に光る物があったため、不気味に感じた村民は陰陽師を呼び占ってもらうと、天から3つの星が落ちたと告げられた。そして、その3つの星を崇拝すればこの地が繁栄すると言われ、それを受けた村民が社を建ててその3つの星を祀ったのが起源とされている。本殿裏の巨石三体を由緒にある星とする説と本殿に隕石が収められているとする説がある。 また、真星の地名はこの話および神社に由来したものである。 名古屋他、各地に星神社があるが関係があるわけでなく、甕速日神(ミカハヤヒのカミ)を主祭神として祀るのは此処のみである。
📍 岡山県 🏷️ 山城
高越城
高越城(たかこしじょう)は、備中国後月郡荏原荘(岡山県井原市)にあった日本の城。戦国時代には備中伊勢氏の城であった。最近の研究では伊勢盛時(北条早雲)の出生地とされる。 井原市指定史跡。 == 概要 == 旧山陽道を見下ろす標高172メートルの高越山山頂に築かれた山城で、山頂の主郭を中心に5つ程度の郭を配置し、南側の尾根にも出丸を備え、主郭背部には堀切を設けて防御設備として利用した階郭式の縄張りとなっている。この地は旧山陽道と南側の笠岡の港が合流する要地であった。 == 沿革 == 弘安4年(1281年)、弘安の役に際して、幕府軍の総大将として九州に出陣した宇都宮貞綱が築いたとされる。その後、備中国荏原郷を得た那須氏の城となる。室町時代になると備中国荏原郷や井原荘、笠岡村等を領した伊勢氏の持城となり、伊勢盛綱の四男である盛定が所領分割で荏原荘を得たため、その居城となった。 盛定は申次衆であり、同じく申次衆で備中伊勢氏惣領であった兄の伊勢盛富とともに京都に在住していた。
神社 📍 岡山県 🏷️ 式内社🏷️ 国幣社
安仁神社
安仁神社(あにじんじゃ)は、岡山県岡山市東区西大寺にある神社。式内社(名神大社)、備前国元一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 == 祭神 == 現在の祭神は、以下の3柱。 主祭神 五瀬命 配神 稲氷命 御毛沼命 古くは「兄神社」と称していたと伝えられることから、初代天皇の神武天皇の「兄」に当たる五瀬命ほか二神を祭神としたもので、明治時代に定められた。 古文献では当社の祭神については様々な記述がある。社名より平安時代の参議秋篠安仁(あきしののあに)や右近衛大将安倍朝臣安人(あべのあそんやすひと)、和珥氏の祖神であるとするもの、天照大神、五十狭芹彦命(吉備津彦命)、また、単に当地の地主神であるとする説もある。このように諸説あって定められないことから、1870年(明治3年)の『神社明細帳』では「未詳」と書かれている。現在の五瀬命は1875年(明治8年)に安仁神社社務(神職)が作成した『安仁神社御傳記』に初めて現れるが、1925年(大正14年)に社務所が作成した『安仁神社誌』では、やはり定められないとして社名に神をつけた「安仁神」としている。第二次世界大戦後の1952年(昭和27年)に作成された『神社明細帳』で再び五瀬命とされ、現在に至る。
美術館・博物館 📍 岡山県
備前長船刀剣博物館
備前長船刀剣博物館(びぜんおさふねとうけんはくぶつかん)は、岡山県瀬戸内市長船町長船にある刀剣を展示している博物館。元々は長船町立博物館として設立されたが、長船町、邑久町、牛窓町の合併に際して刀剣に特化した博物館を設立すべく、平成16年(2004年)に工房を増設してリニューアルした。 2020年現在は、主に備前国にて制作された備前刀を展示している。 == 沿革 == 昭和56年(1981年)頃の天王社刀剣の森では、刀剣の展示会を開催する機運が高まっていた。これは備前長船の発祥の地であることや付近に刀匠の菩提寺である西方寺慈眼院の所在、岡山県重要無形文化財技術保持者である刀匠の今泉済の移住が理由として挙げられていた。展示にあたり盗難と湿気を回避するため、常設博物館の建設が求められていた。同年に福岡城跡の丘と共に天王社刀剣の森が岡山県指定郷土記念物になったことでこの動きは勢いを増し、7月には歴史民俗資料館建設推進委員会が設置された。国と県から受けつつ、建設計画を進めた他、建設資金募金委員会を発足させて募金活動を行った。昭和57年(1982年)8月に着工し、敷地2,758平方メートル、鉄筋コンクリート2階建て、延べ面積666平方メートルの施設が造られた。日本全国で初めての刀剣の常設展示が行われる公立博物館として建設された。
神社 📍 岡山県
由加神社本宮
由加神社本宮(ゆがじんじゃほんぐう)は、岡山県倉敷市南部にあたる児島の由加山にある神社である。旧社格は県社。神社本庁の管轄に属さない単立神社。 == 概要 == 由加山は太古より磐座信仰が行われていたとされる。天平5年(733年)行基によりこの地に十一面観音が祀られ、神社仏閣が一体となった瑜伽大権現(由加大権現)と呼ばれる神仏習合の山となったという。北麓にある熊野神社の縁起によれば、奈良時代の初めに役行者の高弟5人が紀州熊野より熊野本宮大社を捧持してこの地に熊野神社を興し、その後、新熊野三山の一つとして由加山に那智宮を開いたとしている。 江戸時代中期より備前藩主池田氏の祈願所となり、正月・5月・9月には藩主自ら参拝していた。池田氏は当神社の社殿や、蓮台寺の客殿を造営した。 参道には多くの土産物店等が軒を連ね門前町を形成しており、初詣などの時期には多くの参拝者で賑わう。なお、この門前町で売られている「あんころ餅」は由加山の名物である。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 美術館
岡山市立オリエント美術館
岡山市立オリエント美術館(おかやましりつオリエントびじゅつかん)は、岡山県岡山市北区にある美術館。 岡山市教育委員会が管理を行っている。1981年に第22回BCS賞を受賞。 == 概要 == 学校法人岡山学園より、古代オリエントの美術品が1,947点寄贈された事を機に1979年(昭和54年)に開館した。 寄贈されたコレクションは安原真二郎岡山学園理事長が親交のあった東京大学名誉教授の江上波夫と、東京大学東洋文化研究所教授の深井晋司の指導のもとに形成されたものであり、学問的に系統だった資料が収集されている。 当美術館の開館後も古代オリエントの美術品を収集し、国内唯一の古代オリエントを専門とする公立の美術館として西日本における研究拠点としても機能している。 寄贈や寄託を含め、2011年(平成23年)3月現在では、4,942点もの収蔵品を抱えている。 2004年(平成16年)には開館25周年記念事業の一環として貴重な「アッシリア・レリーフ」を購入し、古代オリエント研究者としても著名な三笠宮崇仁親王が特別顧問に就任した。 展示品を鑑賞するだけでなく、以下のような様々な体験ができる。
神社 📍 岡山県 🏷️ 建物・構造物のグループ
宗忠神社
宗忠神社(むねただじんじゃ)は、黒住教の教祖である黒住宗忠を祀る神社である。京都および、黒住宗忠の生地で黒住教の本部のある岡山にある。 == 京都の宗忠神社 == 黒住宗忠は嘉永3年(1850年)に歿し、安永3年(1856年)に朝廷から「宗忠大明神」の神号が与えられた。文久2年(1862年)、宗忠の門人の赤木忠春らが、吉田神社より社地の一部を譲り受けて宗忠を祀る神社を創建した。慶応元年(1865年)には朝廷の勅願所とされ、皇室や公家から篤い崇敬を受けた。明治時代には県社に列格した。 岡山の宗忠神社との区別のため、鎮座地名から「神楽岡宗忠神社」とも呼ばれる。 流造の本殿は明治45年(1912年)に改築されたものである。本殿の北には、二条家より遷された天照大神を祀る神明宮がある。他に、白山比咩大神を祀る白山社、赤木忠春(赤木忠春神)を祀る忠春社がある。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 美術館🏛️ 都道府県立博物館
岡山県立美術館
岡山県立美術館(おかやまけんりつびじゅつかん、英語: The Okayama Prefectural Museum of Art)は、岡山県岡山市北区にある美術館である。通称「県美」。 == 概要 == 当美術館は岡山市の中心街天神町にあり、後楽園や岡山城にほど近い場所で、1988年、岡山市天神山地区の再開発事業として岡山県により開設された。同館は、郷土ゆかりのすぐれた美術作品を収集・展示するとともに、内外の芸術活動を紹介する展覧会やイベントを開催し、県民の幅広い文化活動の発展に寄与することを目的として設置された。施設の設計は最高裁判所などの作品で有名な建築家・岡田新一によるものである。 収集方針は、岡山の美術をメインとし、それを支える作品や資料を絵画・彫刻・工芸などジャンルを問わず集めるというものである。公共美術館として郷土を重視するのは当然であるが、県立美術館のなかで同館ほど「郷土ゆかり」に徹する館は珍しい。常設展として所蔵している美術品は「岡山の美術展」として公開するほか、特別展として全国の美術館の巡回展などが行われ、優れた美術品に触れる場を提供している。また、学芸員や外部講師による講座やワークショップなどを催しており、美術の普及活動にも力を入れている。 第13回(2013年度)日本建築家協会25年賞受賞。
神社 📍 岡山県
阿智神社
阿智神社(あちじんじゃ)は、岡山県倉敷市本町の鶴形山にある神社である。 == 概要 == 倉敷市中心部、倉敷美観地区の北にある鶴形山と呼ばれる小高い山の上に鎮座している。古代、「亀島」「鶴形島」などと呼ばれていた現在地に住み着いた阿知使主の一族が作った庭園が元となったといわれている。かつて岡山平野は吉備の穴海と呼ばれる海域で、当時は窪屋郡阿智郷であった現在の倉敷市鶴形山周辺は交通の要衝であったといわれ、そのため海上交通の守護神である宗像三女神を祀ったと考えられている。 境内には鶴亀様式とよばれる古代庭園がある。また「天津磐境」をはじめ磐座が多数有り、「斎館」と呼ばれる館の庭には陰陽磐座や水琴窟がある。他の建造物としては能舞台、芭蕉堂、絵馬殿等がある。本殿北側にある「阿知の藤」は日本一の大きさと古さといわれ有名である。そのため倉敷市の市花に認定され、県の天然記念物にも指定されている。毎年5月3日~5日には藤まつりが開催されている。
文化・伝統 📍 岡山県 🎡 テーマ・パーク
おかやまフォレストパーク ドイツの森
おかやまフォレストパーク ドイツの森、またはドイツの森(ドイツのもり)は、岡山県赤磐市仁堀中にある農業公園。 == 概要 == 1993年(平成5年)、赤磐郡吉井町仁堀中に岡山農業公園を設置する構想が生まれた。当初は「岡山農業公園アルザスの森」と称しフランスのアルザス地方から木造建築物を移築しフランス風の農業公園にする予定であったが、ドイツ風の農業公園に方針を変更した。 === 施設運営 === 株式会社ファーム === 沿革 === 1995年(平成7年)3月1日:「岡山農業公園 ドイツの森クローネンベルグ」として開園 2007年(平成19年)3月17日:リニューアルオープン。「岡山農業公園 ドイツの森」に改名。 2020年(令和2年)3月1日:リニューアルオープンにより「おかやまフォレストパーク ドイツの森」に改名。 === おもな施設 === ==== 街のエリア ==== 売店 レストラン バーベキュー ==== 牧のエリア ==== ふれあい動物園 ジャージー牛の乳搾り体験 ドッグラン ==== 遊びのエリア ==== 芝滑り パターゴルフ アーチェリー バズーカ砲 スワンボート 自転車ランド ゴーカート チューチュートレイン ==== 村のエリア ==== 地ビール工房 石窯パン・ピザ工房 === 画像集 === == 所在地 == 岡山県赤磐市仁堀中2006 == 交通アクセス == === 公共交通機関 === JR西日本山陽新幹線・山陽本線岡山駅から宇野バス「湯郷温泉・林野駅」行き、または「仁堀」行きに乗車。所要時間:1時間。「仁堀下」バス停下車。徒歩で約10分。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 歴史博物館🏛️ 都道府県立博物館
岡山県立博物館
岡山県立博物館(おかやまけんりつはくぶつかん、Okayama Prefectural Museum)は、岡山県岡山市北区の後楽園外苑にある博物館。 == 概要 == 現在の岡山県域に中心があり、古代に繁栄した吉備国をはじめとした原始・古代からの数多くの文化遺産を収集・保存し、その代表的なものを展覧することを目的とし、1971年(昭和46年)8月に岡山県政100周年の記念事業の一環として開館した。収蔵品には国宝の鎧、国の重要文化財の絵画、刀剣、考古資料等が含まれる。 大規模改修のため2020年4月から休館し、2022年10月に1階展示室をオープン、2023年4月に2階を含めて全面開館する予定であった。しかし、2022年6月の検査で1階収蔵庫の空気中の有機酸の数値が、国が定める文化財の公開承認施設の基準を上回ったため、2022年10月の再オープンは延期された。2023年1月に1階展示室が再開館し、4月1日に全面リニューアルオープンした。 == 沿革 == 1970年(昭和45年) 10月 - 建築工事着工。 1971年(昭和46年) 6月 - 建築工事完工。 7月 - 岡山県立博物館条例公布。 8月 - 開館。
神社 📍 岡山県
作楽神社
作楽神社(さくらじんじゃ)は、岡山県津山市神戸にある神社である。鎌倉時代から室町時代にかけて美作国守護の館(「院庄館」)があった地に、後醍醐天皇とその忠臣児島高徳を祭神として、明治2年(1869年)、津山藩主松平慶倫により創建された。 境内には約100本のソメイヨシノが植えられている。また、神社の敷地全体が、国指定の史跡「院庄館跡(児島高徳伝説地)」となっている。 == 由緒 == 1331年(元弘元年)に鎌倉幕府の打倒に失敗し囚われの身となった後醍醐天皇は光厳天皇への譲位を強制された後、翌年3月になって京から隠岐へ配流されたが(元弘の乱)、その途上、美作国院庄の守護館に宿泊した。一方、備前国の土豪児島高徳は手勢を率いて、護送の途中で先帝(後醍醐天皇)を解放しようと企てたが、好機を見いだせないまま院庄まで追跡してきていた。厳重な警護をかいくぐり守護館の庭に単身潜入した児島高徳は、桜の木の幹を削って白くなった所に、次のような十字詩を刻んだ(「白桜十字詩」と呼ばれる)。 天莫空勾践 時非無范蠡 【書き下し文】天、勾践を空(むな)しうすること莫(なか)れ。時に范蠡無きにしも非ず。 【大意】天は、呉との戦いに敗北し捕らわれた越王・勾践を見捨てなかったように、先帝を見捨てることもありません。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 美術館🏛️ 考古学博物館
BIZEN中南米美術館
BIZEN中南米美術館(びぜんちゅうなんべいびじゅつかん)は、岡山県備前市日生町にある私設美術館。1975年(昭和50年)3月に財団法人森下美術館(ざいだんほうじんもりしたびじゅつかん)として開館し、2005年(平成17年)に現在の名称に改称した。中南米を専門とする日本唯一の考古美術館である。 なお本ページでは、基盤となった森下グループ(森下製網所、森下化学工業など)と、その創設家についても言及する。 == 森下グループ == 1904年(明治37年)10月、森下精一は岡山県和気郡日生村(現・備前市日生町)に生まれた。父親は雑貨販売と漁網製造を行っており、精一が高等小学校を卒業すると、父親とともに関西や九州でも漁網の売り込みを手伝っている。25歳だった1929年(昭和4年)に父親の跡を継いで独立。東洋麻糸紡績(のちの東洋繊維、現在のトスコ)の漁網用ラミーの特約販売店となると、西日本から朝鮮半島にまで販路を拡大し、漁網用ラミーではシェア80%を占めた。太平洋戦争中には大砲や戦車を覆う擬装網なども手掛け、戦後には動力編網機を導入して製造能力を拡大した。 1947年(昭和22年)に有限会社森下製網所を設立。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 熊野神社
熊野神社
熊野神社(くまのじんじゃ)は、岡山県倉敷市郷内地区にある熊野神社。「日本第一熊野十二社権現宮」と称する。祭神は伊邪那美神、伊邪奈岐神、家都御子神、速玉之男神。社殿は左から第三殿・第一殿・第二殿・第四殿・第五殿・第六殿と並ぶ熊野本宮大社と似た形式を採っている。 == 概要 == 修験道の祖と言われる役小角は文武天皇3年(699年)、朝廷より訴追を受け、熊野本宮に隠れていたが伊豆大島に配流された(続日本紀)。社伝によれば、この際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら5人の弟子達を中心に熊野本宮大社の御神体を捧持したとされる。彼らは3年にわたり各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701年)3月、神託を得て現在の地に紀州熊野本宮を遷座したとされる。天平12年(740年)聖武天皇が児島一円を熊野神社の社領として寄進した。天平宝字5年(761年)には紀州熊野と同様の社殿(十二社権現宮)を整え、付近の木見に新宮を、山村に那智宮(現・由加神社本宮、蓮台寺)を建て新熊野三山とした。 熊野神社と修験道の寺院が一体となった神仏習合の形態を取る宗教施設として栄えたが、平安時代中期以降は衰微した。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 美術館🏛️ 人物記念館
夢二郷土美術館
夢二郷土美術館 は岡山県岡山市中区(本館)と瀬戸内市(別館)にある岡山県の登録博物館。運営は、両備グループが設立した公益財団法人両備文化振興財団。館長は両備グループ代表の小嶋光信。
神社 📍 岡山県
美作総社宮
美作総社宮(みまさかそうじゃぐう)は、岡山県津山市にある神社。正式名称は総社。美作国総社で、旧社格は県社。 == 祭神 == 主祭神 大己貴命 (おおなむちのみこと) 相殿神 鏡作命 (かがみつくりのみこと) - 中山神社(美作国一宮)祭神 鵜茅葺不合命 (うがやふきあえずのみこと) - 高野神社(美作国二宮)祭神 美作国内の神 == 歴史 == 古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの美作国の総社にあたる。 社伝によれば、欽明天皇25年(564年?)に現在地より約1km西にある本館(ほんだて)に大己貴命を祀ったのが始まりという。ただしその根拠は不明で、室町時代末期までの当社の沿革は明らかでない。 奈良時代初期の和銅6年(713年)に備前国北部6郡を分割し美作国が設けられ、和銅7年(714年)には国府が置かれたと伝える。その後、美作国司により現在の亀甲山に遷座するとともに、中山神社・高野神社など美作国65郷全てを合祀し美作国総社と定められたという。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 郷土博物館🏛️ 人物記念館
倉敷市真備ふるさと歴史館
倉敷市真備ふるさと歴史館(くらしきしまびふるさとれきしかん、英: Kurashiki City Mabi Hometown History Museum)は、岡山県倉敷市真備町にある博物館。大池ふるさと公園の中にある。建物の背後(北西)に岡田大池を湛えている。 1994年7月3日に、地元を治めた岡田藩の古文書類の研究と、終戦間際から3年余りこの地に疎開していた推理作家・横溝正史の顕彰を目的として開館された。約3,800点の資料が収蔵されている。 2005年8月1日に真備町が倉敷市へ編入合併される前の館の名称は「真備町ふるさと歴史館」であり、館の所在地は「吉備郡真備町大字岡田610番地」であったが、倉敷市への合併に伴い、館の名称と所在地は現在の表記に変更された。 倉敷市からの指定管理者である岡田藩史研究会によって管理運営されている。 == 概要 == 江戸時代にこの地を治めた岡田藩の文書(もんじょ)をはじめ、当時の村人の暮らしや村の支配、産業の工夫などを示す資料を公開している。古文書や貴重な刀剣などの展示物は、歴史学者の磯田道史の寄贈によるものなど、多くの人の善意によって成り立っている。岡田藩関係の古文書類については、毎月2回、古文書解読会を催し、解読文書を原古文書に添えて、多くの人が簡単に内容を理解できるよう便宜を図っている。
観光名所 📍 岡山県 🐟 水族館
玉野市立玉野海洋博物館
玉野市立玉野海洋博物館(たまのしりつたまのかいようはくぶつかん、Tamano Marine Museum)愛称「渋川マリン水族館」(しぶかわマリンすいぞくかん)。は、岡山県玉野市渋川にある玉野市立の海洋博物館であり岡山県内では唯一の水族館である。 == 概要 == 当博物館は水族館と陳列館の2つのパートから構成されている。水族館ではウミガメやオタリアなど海獣類や、イカナゴやサッパをはじめとした魚類など約180種2000点を飼育展示している。また、陳列館では貝類の標本や魚類のはく製、船舶模型などが展示されている。屋外には1953年(昭和28年)に昭和天皇と香淳皇后が行幸したのを記念して建てられた、灯台の模型がある。 近くには、渋川海岸、岡山県立渋川青年の家、おもちゃ王国、ダイヤモンド瀬戸内マリンホテルなどがある。 1953年の開館後は1995年にリニューアルされているが老朽化が進んでおり2025年9月7日には本館入り口脇のパネルが落下、同12日まで休館、抜本的な再整備が求められている。 2019年3月、岡山住みます芸人の江西あきよしにPR大使を委嘱。 2019年6月、佐久間一行を特任ディレクターに任命した。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 美術館 ⭐ 登録有形
倉敷市立美術館
倉敷市立美術館(くらしきしりつびじゅつかん)は、岡山県倉敷市中央二丁目にある倉敷市が運営する美術館である。 == 概要 == 1960年(昭和35年)6月11日竣工の旧倉敷市役所庁舎が市役所の移転に伴い不要になったのを、改修の上で1983年(昭和58年)11月 に「倉敷市立展示美術館」として開館。1987年(昭和62年)4月 「倉敷市立美術館」に改称し現在に至る。市立美術館開館に先立つ1980年(昭和55年)10月 に倉敷市玉島乙島出身の日本画家池田遙邨から自作489点が市に寄贈され、これが倉敷市立美術館のコレクションの基礎となっている。 === 美術館の建物(旧倉敷市役所庁舎)について === 市立美術館の建物となった旧倉敷市役所庁舎は、1958年(昭和33年)に倉敷市の都市構想の一環として計画されたのを基にして、丹下健三の設計により建設された。1967年(昭和42年)2月1日 に倉敷・児島・玉島の三市合併で新倉敷市となった後も本庁舎として使用されていたが、1980年(昭和55年)6月 に新庁舎が完成すると移転。程なく池田遙邨から自作を受贈され、倉敷市児島出身で倉敷アイビースクエアを手がけた建築家浦辺鎮太郎の手によって改修されて開館に至った。 市立美術館の建物は、2020年(令和2年)8月に「旧倉敷市庁舎(倉敷市立美術館)」として国の登録有形文化財に登録されている。 == 開館時間 == 9:00~17:15 (入館は16:45まで) ただし、月曜日(休日の場合は翌日)と年末年始は休館。 == 交通アクセス == 山陽本線・伯備線 倉敷駅から徒歩10分。
神社 📍 岡山県 🏷️ 論社🏷️ 国幣社
高野神社
高野神社(たかのじんじゃ)は、岡山県津山市にある神社。式内社論社、美作国二宮で、旧社格は県社。 == 概要 == 津山市西部に位置し、北西に神山を背負い、南に久米の佐良山を望み、眼下に吉井川を見下ろす地に鎮座する。 美作国の二宮とされた古社であり、美作三大社の一社に数えられる。中世以降、領主や津山藩主の崇敬が篤く、なかでも藩主・森氏が社殿の造営・社領の寄進を行い、当時の本殿は岡山県指定重要文化財となっている。そのほか、国の重要文化財の随身像などの文化財を現在に伝えている。 == 祭神 == 主祭神 彦波限建鵜葺草葺不合尊 (ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと) 相殿神 大己貴命 (おおなむちのみこと) - 美作総社宮祭神 鏡作命 (かがみつくりのみこと) - 中山神社(美作国一宮)祭神 == 歴史 == === 創建 === 社伝では、当社の祭祀は吉井川の河原にあった碫馭盧岩(おのころいわ)に始まり、この岩を磐境として祀っていたと伝える。のち安閑天皇2年(534年)に社殿が創建されたという。 === 概史 === 平安時代中期の『延喜式神名帳』には式内社として「美作国苫東郡 高野神社」の記載があり、当社をそれにあてる説がある。当社は遅くとも平安時代後期から美作国二宮として栄えていたとされ、当社を比定する説は多い。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏷️ 町屋🏛️ 歴史的家屋の博物館 ⭐ 重文
大橋家住宅
大橋家住宅(おおはしけじゅうたく)は、岡山県倉敷市阿知にある、町屋建築。国の重要文化財に指定されている。 == 概要 == 大橋家は水田、塩田の開発で財をなした地主で「新禄」と呼ばれる新興勢力を形成していた。現存する建物は寛政7年(1796年) - 寛政10年(1799年)に建設された。白壁に貼り瓦、倉敷格子など倉敷独特の建築様式を有する。現在、海鼠壁の米蔵が展示室になっていて当時の生活用具などを見ることができる。昭和53年(1978年)1月21日、主屋、表門、米蔵、内蔵の4棟が重要文化財に指定され、昭和57年(1982年)6月11日敷地も追加指定された。 住宅内に入り、座敷に上がって見学が出来る、倉敷で唯一の重要文化財である。
観光名所 📍 岡山県 🌲 公園🏷️ 展望所
みなとの見える丘公園
みなとの見える丘公園(みなとのみえるおかこうえん)は岡山県備前市日生町にある公園。 == 概要 == 日生港と日生駅前港の間の海に半島状に突き出た楯越山(たてごえやま)に設けられた公園である。山体に巡らされた遊歩道から海岸線を垣間見ることができるほか、頂上付近に設けられた展望広場(楯越山展望所)からは日生港と日生駅前港、日生諸島、および澄んだ日には遠く小豆島まで一望できる。展望広場は二段の造りになっており、その上段に1927年製の号鐘「幸福の鐘」が2002年に設置された。 2018年(平成30年)2月25日に港一帯はみなとオアシスの登録をしていて、当園はみなとオアシス東備を構成する施設の一である。 == 施設 == 幸福の鐘 - 1927年製の号鐘。直径30センチメートル。アーチ形ステンレ製スフレームに設置。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 大学美術館🏷️ ギャラリー
加計美術館
加計美術館(かけびじゅつかん、Kake Museum)は、岡山県の倉敷美観地区内にある美術館を兼ねたギャラリー。 == 概説 == 同地にかつて存在した、ローマ・ギリシャ美術をメイン収蔵品としていた倉敷蜷川美術館(くらしきにながわびじゅつかん。1972年設立、2000年閉館)の跡地に設立された加計学園グループの美術ギャラリー。ただし旧蜷川美術館が設置者である蜷川明夫妻のコレクションを主軸としたローマ・ギリシャ美術を取り扱っていたのに対し、加計美術館は加計学園グループ各校出身者を主軸とした現代芸術を取り扱う。 主に倉敷芸術科学大学および吉備国際大学の学生および出身者による、交流・情報発信の場として2002年(平成14年)4月に開館。以降、両大学出身者による作品の展示や、学生・OB・OGによる企画展、地元福祉施設(例として授産所や小規模作業所など)の利用者作品の展示を行っている。現在は「倉敷芸術科学大学 加計美術館」という名称が用いられており、芸術文化の発信基地として教育支援、作家支援、福祉支援の3つの柱を軸に活動され、優秀な成績をおさめた学生の作品収蔵や大学院修了展の開催など大学附属の美術館としての機能を果たしている。 4階にグループの創始者である加計勉の人生と業績、また加計が受けた勲章や表彰・学位などをまとめた展示「加計勉 記念コーナー」を設置しており、これを実質上の常設展としている。 == 沿革 == 2002年(平成14年)開館 2007年(平成19年)加計勉 記念コーナーを開設 == フロア == 全5階のフロア構成をとっている。 全館内撮影禁止。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 八幡宮
牛窓神社
牛窓神社(うしまどじんじゃ)は、岡山県瀬戸内市牛窓町にある神社。牛窓八幡宮とも称される。旧社格は県社。 == 祭神 == 応神天皇、神功皇后、比売神、武内宿禰 == 由緒・起源 == 平安時代の長和年間(1012年〜1016年)創建とされるが、牛窓町内には大型の前方後円墳が5ケ所、円墳、貝塚にいたっては無数に点在しており、神社の初源はさらに遡ると考えられ、土地の神霊を祀って「牛窓明神」と呼ばれていたところへ、三韓征伐伝説に基づき後世、神功皇后をはじめ八幡大神が勧請されたものである。 延喜式には記載がないが、備前国内神明帳には、「従三位 牛窓明神」と記載されている。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 玩具博物館🏛️ 音楽博物館
現代玩具博物館
現代玩具博物館・オルゴール夢館(げんだいがんぐはくぶつかん・オルゴールゆめかん、英 : Japan Museum of Contemporary Toy & Hall of Music Box)は岡山県美作市に所在する博物館。 == 概要 == 1995年9月に岡山県美作市後山(旧英田郡東粟倉村後山)に開館。美作市合併5周年を機に2010年3月、同市湯郷へ移転開館。ヨーロッパの木製玩具やアンティークオルゴールなどを収蔵。開館以来、体験型博物館を実践しており、おもちゃの紹介やオルゴールコンサート、工作教室などを毎日開催している。 == 施設 == おもちゃの展示室(約5000点の収蔵品の内、500点を展示) オルゴールの展示室(アンティークオルゴールやストリートオルガン、オートマタなど約30点を展示) プレイルーム 工作室 == 沿革 == 1995年 開館 1996年 C-TOY1996「創作玩具公募展」開催/クルト・ネフ来館 1997年 C-TOY1997「創作玩具公募展」開催/クルト・ネフ来館 1998年 C-TOY1998「創作玩具公募展」開催/クルト・ネフ来館 1999年 ドイツ・エルツゲビルゲのおもちゃ展開催 2000年 スイス・ネフの世界展開催、おもちゃとえほんのどうぶつ展開催 2001年 現代からくり作家の世界展開催、あそびのデザイン展開催、seiffen展開催 2002年 WHIRLIGIGS春日明夫コレクション展開催、ケーセン展開催、小黒三郎創作20周年記念展開催 2003年 みんなで遊ぶゲーム展開催 2004年 ペーパーからくり展開催、つみきの世界展開催 2005年 spiel gut展開催、西田明夫の手しごと展開催、からくりおもちゃ塾開講 2006年 POP-UP絵本展開催、ゲームフェスティバル開催 2007年 naef展開催、北欧のおもちゃ展開催 2008年 おもちゃデザイナーのしごと展開催 2009年 C-TOY2009「創作玩具公募展」開催/ハイコ・ヒリック来館 2010年 開館15周年、美作市湯郷温泉へ移転開館 == 利用情報 == 開館時間 - 9時30分から17時(最終入館は16時30分まで) 休館日 - 毎週水曜日(ただし祝日は開館し、翌営業日を休館日とする。春・夏・冬休みは、開館する。)、年末年始(12月30日から翌1月3日)。臨時休館あり。 入館料 - 大人(中学生以上64歳以下)800円、大人(65歳以上)640円、子ども400円(各種割引あり) 所在地 - 〒707-0062 岡山県美作市湯郷319番地2 == 交通アクセス == JR西日本姫新線林野駅下車、宇野バスにて約10分。
神社 📍 岡山県 🏷️ 史跡
大多羅寄宮
大多羅寄宮(おおだらよせみや)は、岡山県岡山市東区大多羅町にあった神社。跡地は「大多羅寄宮跡」として国の史跡に指定されている。 == 概要 == 江戸時代の寛文6年(1666年)に、当時の岡山藩主・池田光政は藩の領地である備前国内の産土神601社全ての由緒を調査させ、領地内にあった祠や社10524社を廃して、71社の寄宮(複数の神社を合祀した神社)として再編した。 さらに正徳3年(1713年)、岡山藩主・池田綱政は上東郡大多羅村の芥子山南西中腹にあった句句廼馳神社(くくのちじんじゃ)の境内を広げ、71社の寄せ宮の内の66社を境内に合祀し社殿を建て、大多羅寄宮とした。岡山藩は大多羅寄宮に毎年社殿の修理費と神供料を支給していた。 明治になり廃藩置県によって岡山藩の社殿運営費用が途絶えたため、明治8年(1875年)に大多羅寄宮は句句廼馳神社とともに芥子山南西麓にある布勢神社に合祀され、現在に至っている。なお、旧境内地には石垣・石段・社殿跡などが現存している。 昭和2年(1927年)4月8日には、跡地が国の史跡に指定された。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 美術館🏛️ 考古学博物館
高梁市成羽美術館
高梁市成羽美術館(たかはししなりわびじゅつかん、Nariwa Museum)は、岡山県高梁市にある、美術館と自然史博物館の複合施設。 == 概要 == 岡山県川上郡下原村(現在の高梁市成羽町下原)出身の洋画家で大原美術館の美術品収集を担ったことで知られる児島虎次郎の顕彰を目的として旧成羽町が1953年に開館した。3代目にあたる現在の建物は1994年、高梁市指定史跡である成羽陣屋跡(山崎氏御殿跡)の石垣上に安藤忠雄の設計により建設されたもので、館自体が美術作品としての存在感を有している。 館内では児島虎次郎の作品のほか、児島虎次郎が収集したエジプト等の古代美術品、および成羽町で採掘された日本最古の植物群化石を展示する。 === 沿革 === 1953年(昭和28年)8月8日 - 「成羽町美術館」として開館 1967年(昭和42年)8月 - 2代目建物で開館 1994年(平成6年)11月 - 3代目建物で開館 2009年(平成21年)4月 - 「成羽町美術館」から「高梁市成羽美術館」へ名称変更 == 施設 == 児島虎次郎・絵画展示室 - 児島虎次郎の作品、「登校」、「紫苑と少女」、「和服を着たベルギーの少女」、「酒津の農夫」などの油彩画、デッサン、自作家具のほか、徳永仁臣、太田喜二郎、満谷国四郎、吉田苞、片岡銀蔵、小林和作、田村孝之介、佐藤一章等の作品を展示。 オリエント展示室 - 児島虎次郎が数度にわたる外遊中に収集した、古代エジプトの美術品を中心に展示するとともに、パネルで歴史を紹介する。 化石展示室 - 成羽層群から産出した日本最古の植物群化石、世界的新種30数種を含む約100種・数百点を展示する。 多目的展示室  レクチャールーム ミュージアムショップ ミュージアムカフェ == 収蔵品 == 絵画 - 児島虎次郎111作品、満谷国四郎・徳永仁臣他絵画84作品 彫刻 - 30作品 その他美術品 - 児島虎次郎収集品(エジプト、中国、ヨーロッパ)601点 化石 - 成羽地方産出化石約700点 == 建築概要 == 設計 - 安藤忠雄・安藤忠雄建築研究所 竣工 - 1994年 構造 - 鉄筋コンクリート、地上2階・地下1階 敷地面積 - 7,607.89m2 建築面積 - 1,601.98m2 延床面積 - 2,691.98m2 備考 - 館周囲に地下水を利用した人工池「流水の庭」と、館内に「静水の庭」を配する == ギャラリー == == 交通アクセス == JR伯備線 備中高梁駅から備北バスで約20分、「成羽」停留所下車 徒歩1分 山陽自動車道 倉敷ICもしくは笠岡ICから約50分 岡山自動車道 賀陽ICから約30分、岡山総社IC・有漢ICから約40分 中国自動車道 北房ICもしくは新見ICから約50分 == 関連文献 == 『児島虎次郎と高梁市成羽美術館』日本文教出版「岡山文庫」、2019年 『児島虎次郎 もうひとつの眼』高梁市成羽美術館編、クレヴィス、2020年 児島虎次郎撮影の写真集。
神社 📍 岡山県
徳守神社
徳守神社(とくもりじんじゃ)は、岡山県津山市宮脇町にある神社。津山藩総鎮守。 社格は県社で、現在は津山市街地の総鎮守として氏子に親しまれている。 == 祭神 == 祭神は以下の6柱。 主祭神 天照皇大神 その他 国常立尊 伊弉諾尊 月読尊 誉田別尊 石凝姥神 (いしこりどめのかみ) == 歴史 == === 創建 === 社伝では、天平5年(733年)の創祀と伝えられている。社地は当初現在の津山市小田中の地にあったが、天文8年(1539年)火災に遭い社殿、宝物等ことごとく焼失した。慶長8年(1603年)美作国の18万6500石の国守大名として入封した森忠政が津山城を築くにあたり、翌9年(1604年)現在地に移して津山城下の総鎮守とした。 現在の社殿は寛文4年(1664年)2代藩主森長継が改築したものである。明治5年に県社に列せられた。 氏子は津山市の中心部56町内にわたり作州第一の大社である。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 歴史的家屋の博物館🏛️ 塩博物館
野﨑家塩業歴史館
旧野﨑家住宅・野﨑家塩業歴史館(きゅうのざきけじゅうたく のざきけえんぎょうれきしかん)は、岡山県倉敷市児島味野にある住宅および博物館である。2026年度からは約15年をかけて耐震工事をする予定である。 主屋など多数の建造物が重要文化財に指定されている。公益財団法人竜王会館が管理する。江戸時代後期に製塩業と新田開発で財を成した野﨑武左衛門が建築した邸宅である。博物館法の登録博物館になっている。 == 沿革・歴史 == 1833年(天保4年)- 主屋が完成する。 1838年(天保9年)- 長屋門・御成門が完成する。 1852年(嘉永5年)- 玄関棟と表書院が完成する。 1970年(昭和45年)- 現在、野崎家住宅を管理している財団法人竜王会館が設立される。
神社 📍 岡山県 🏷️ 式内社
国神社
国神社(くにじんじゃ、國神社)は、岡山県岡山市北区にある神社。式内社で、旧社格は村社。 == 祭神 == 祭神は以下の2柱。 大国主命 事代主命 上記とは別に、主祭神を大国主命、相殿に素戔嗚命、合殿に八幡宮とする記載も見られる。 == 歴史 == 貞観2年(860年)の創建で、神階は従四位下であるという。平安時代中期の『延喜式神名帳』に「備前国御野郡 国神社」と記載される式内社に比定されている。 慶長年間(1596年-1615年)に再建され、社領は2石6斗2升であったという。のち寛文年間(1661年-1673年)に造営があり、宝暦元年(1751年)に再建されたという。また明和3年(1766年)に国守八幡宮を合祀した。 当社に関して『備陽記』『備陽国誌』など江戸時代の諸史料に記述があり、これらによると、江戸中頃に廃祀となったが明治初年に伊福八幡宮の相殿として復活したと見られている。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 医学博物館🏛️ 大学博物館
現代医学教育博物館
現代医学教育博物館(げんだいいがくきょういくはくぶつかん)とは、岡山県倉敷市にある医学教育の為の博物館。学校法人川崎学園が運営している。 == 概要 == 日本唯一の医学教育博物館である。医学全域にわたる豊富な実物標本と視聴覚教材を持っている。病理解剖に使われた臓器の標本約1800点や、胎児模型などを所蔵・展示する。「第2の実物図書館」「動きを見る図書館」として医学教育に役立っている。一般にも開放された、医学を分かりやすく説明する「家庭医学」「大衆医学」の博物館でもある。川崎医科大学の実習施設も兼ねており、様々な実習が行える。 川崎学園の学校(川崎医科大学や川崎医療福祉大学、川崎医科大学附属高等学校等)の学生・生徒は1年生の時に見学する事になっており、内部では「MM」と呼ばれて親しまれている。 == 沿革 == 1980年 川崎医科大学の創立10周年記念事業として設立される。
神社 📍 岡山県 🏷️ 式内社🏷️ 国幣社
片山日子神社
片山日子神社(かたやまひこじんじゃ)は、岡山県瀬戸内市長船町にある神社。祭神は片山日子神(片山日子命)。式内小社。社格は郷社。 == 概要 == 延喜式神名帳に従二位片山日子神社とあり、伊勢国鈴鹿郡片山神社と同神とされている。 祭神は片山日子神であるが、社伝によれば「片山日子神とは片山に坐す吉備津日子命の略称である」としている。また、『備前式社考』によれば従三位賀多山大明神・賀多山大神とあり、『神祇志料』によれば賀茂片山御子神、『備前国志』・『神社覈録』では大山咋神、『吉備温故録』では天日方奇日方命となっている。 創建は不明であるが、古来、神社の南にある神山(甲山)に鎮座していた。平安時代中期の天喜3年(1055年)に現在の地に遷座したと伝えられている。 明治6年(1873年)郷社となる。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 民俗博物館
倉敷民藝館
倉敷民藝館(くらしきみんげいかん、Kurashiki Museum of Folk Crafts)は、岡山県倉敷市にある日常生活に関連する世界中の民芸品を保存、展示する岡山県の登録博物館。運営は、公益財団法人倉敷民芸館。 == 概要 == 重要伝統的建造物群保存地区「倉敷川畔(倉敷美観地区)」に立地する。1948年(昭和23年)に岡山県民芸協会の会員の有志らによって江戸時代後期の米倉を再生活用し、各地の民芸品が寄贈されて開館した。日本では東京都目黒区駒場の日本民藝館に次いで2番目の民芸館となった。 建物は白壁と黒の貼瓦が美しく、それ自体が一つの民芸品として評価されており、倉敷美観地区の風光明媚な景観を形成している。館内には初代館長の外村吉之介が収集に尽力した、日本をはじめとした世界の民芸品が約15,000点収蔵されており、そのうち約800点ほどが展示されている(年3回の陳列替えが行われる)。かご類や朝鮮民画の所蔵においては世界屈指の内容を誇る。また、随時様々なテーマの企画展が催されているほか、地元の民芸作家の作品の展示即売会も年3回程度行われている。 == 収蔵品 == 陶磁器、染織、木工、漆器、竹細工、ガラス器、和紙、金工、石工など、15,000点以上を所蔵。
神社 📍 岡山県
讃甘神社
讃甘神社(さのもじんじゃ)は岡山県美作市宮本にある神社。智頭往来に面して建つ。旧社格は郷社で神饌幣帛料供進神社。神木は杉と槻。 == 縁起 == 創建は不詳であるが現在地に遷し奉られたのは天正年間(1573年 - 1592年)で、旧讃甘郷中の総鎮守として荒牧大明神と称していた。明治6年(1873年)2月に郷社に列格されたときに現在の神社名に改称した。 宮本武蔵が幼年の時に当神社の太鼓をうつ二本の撥の音が左右の均等であることに感嘆したと云われ、この記憶が後年の二天一流の発想に繋がったとされる。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 企業博物館🏛️ 産業博物館 ⭐ 登録有形
倉紡記念館
倉紡記念館(くらぼうきねんかん)は、岡山県倉敷市の倉敷アイビースクエア内にある、倉敷紡績の企業博物館である。倉敷紡績創業の1888年 (明治21年) に,原綿貯蔵用の倉庫として建てられたもの。国登録・建造物。 == 歴史 == 1888年(明治21年)に創業した倉敷紡績所(現 倉敷紡績)は、翌1889年に、倉敷代官所跡地に近代的な紡績工場を開設した。 1969年(昭和44年)、創業80周年を記念して倉紡記念館を開設。社員教育を目的としたものであったが、1971年より一般公開を開始した。1973年には、記念館を含む倉敷本社工場一帯が複合観光施設「倉敷アイビースクエア」としてオープンした。 == 建築 == 現在の倉紡記念館にあたる建物は原綿倉庫として建てられたもので、当初は2棟の建物であったが、明治30年前後の増築によりコの字型の建物となった。木造一部煉瓦造の2階建で、屋根は瓦葺。建築面積は701m2。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 八幡宮
西園神社
西園神社(にしそのじんじゃ)は、岡山県倉敷市真備町市場に鎮座する神社である。 == 祭神 == 本社 – 八幡神(品陀別命 ほんだわけのみこと ・第15代応神天皇) 末社 – 諏訪明神、荒神 外社 – 稲荷神 == 由緒 == 天文9年(1540年)、白神右京亮果春が社殿を建立して品陀別命(応神天皇)を奉祀し、西園八幡宮と称した。 == 概要・沿革 == 当社は、北面武士であった白神右京亮果春が、室町時代の永正6年(1509年)、足利第十代将軍義稙の命により備中に遣わされた親族の上野民部大輔信孝に伴ってこの地へ赴き、馬入堂山城の城主となり、その後、住民に請われて帰洛せずこの地へ留まり、天文9年(1540年)、石清水八幡宮をこの地へ勧請し西園八幡宮と称して創建したものであり、元来は城や所領の守護神、また園庄の産土神として祭られたが、江戸時代の寛文6年(1666年)、第四代藩主伊東信濃守長貞が川辺から岡田に移ってからは氏神として世々藩主が尊崇し、毎月一回当社に詣でるのを例とし種々の寄進がされている。 例えば、第五代藩主伊東播磨守長救は、馬具一具を寄進。幕末期の第十代藩主伊東播磨守長トシは、弓一張、矢百本、槍二筋、纏二流、絵馬一面などを寄進している。 また家老の千石平左衛門定盛は神田一反、定盛の孫で後に生駒家を継いだ仙石平四郎定治は燈籠一基、辻田村庄屋池田半七は燈籠二基及び銀二十匁などを寄進してる。 明治維新より名称を西園神社に改めて村社となり、今日に至り氏子の篤い信仰を受けている。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 自然史博物館
倉敷市立自然史博物館
倉敷市立自然史博物館(くらしきしりつしぜんしはくぶつかん、英: Kurashiki Museum of Natural History)は、岡山県倉敷市にある博物館。倉敷美観地区から倉敷中央通りを隔てた西隣の一画の中に、倉敷市立図書館や倉敷市立美術館とともに建ち並んで位置している。1983年11月3日に開館した。3階建てで4つの常設展示室と1つの特別展示室が存在し、岡山県の動植物や世界の昆虫・化石・隕石といった展示品がある。自然史に関する資料の管理・展示と教養文化の向上を目的とし、自治体などからの依頼により研究を行うこともある。 == 沿革 == 1977年頃から当時の倉敷市庁舎の移設に伴い、庁舎跡地の利用についての意見が市に多く提出された。1980年に文化施設として利用される方針が発表され、そのうち、旧倉敷市水道局庁舎については、改造して自然史博物館として利用されることが1982年3月2日に正式に決定した(旧倉敷市役所庁舎は倉敷市立美術館として活用)。翌年11月3日に開館を迎え、その後も増築や記念事業を行ってきた。 現建物は1983年に改造のうえ開館してから40年を経過しており、建物の老朽化に伴って、倉敷市福田町古新田にあるライフパーク倉敷敷地内への新築移転の方針が示されている。移転に係る基本計画(「ライフパーク倉敷リニューアル及び新自然史博物館整備基本計画」)を2023年度に策定する予定である。
神社 📍 岡山県 🏷️ 天満宮
硯井天満宮
硯井天満宮(すずりいてんまんぐう)は、岡山県玉野市にある神社(天満宮)。旧社格は無格社。 == 祭神 == 菅原道真(すがわらのみちざね) == 歴史 == 1234年(文暦元年)10月創建。伝説では菅原道真が藤原時平の讒言によって左遷され大宰府へ船で向かう途中、現・玉野市八浜町の周辺に上陸した際、干潮時の海岸の砂浜のくぼみに水がふき出しているのを見つけ、それを飲むと、不思議なことにもとは海中であるはずの場所にもかかわらず塩気の無い清水であった。そのことを「神の恵み」と感謝した道真は、手を打って拝んだ。すると、くぼみから新たに水が湧き出し、その後も手を打つたびに水が湧き、しかも、湧き出す水には金の砂が混じっていたという。そのことに驚いた道真は、その水を硯にうつし、一首の歌を詠み、里人に与えたという。 海ならず たたえる水の 底までも 清き心を 月ぞ照らさん 後に、歌を詠んだ人間が道真であることに気づいた里人たちが、創建されたのがこの神社とされている。水が湧き硯をすった場所を「硯井」と呼び、その場にに井戸と鳥居を建て、その近くの山に天神社をまつったとされている。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 歴史的家屋の博物館🏛️ 郷土博物館
吹屋ふるさと村郷土館
吹屋ふるさと村郷土館(ふきやふるさとむらきょうどかん)は岡山県高梁市成羽町にある郷土館である。 == 概要 == 1879年(明治12年)に建築された入母造り平入りの二階建て町家である。主屋の土台と外側にはクリ材、縁や敷居にはサクラ材が使われており、ほかの部分には松の巨材を使っている。 1979年(昭和54年)に当時の当主から旧成羽町が借り、現在は郷土館として一般公開されている。 == 沿革 == 岡山県高梁市成羽町の弁柄業を営んでいた片山家が明治期に分家を出し、本家の向かいに分家が3棟立ち並んだ。片山家本家は「本片山」、分家は3棟西からそれぞれ北片山、中片山、角片山と呼ばれた。このうち角片山が現在の吹屋ふるさと村郷土館である。 角片山は片山嘉吉が分家した家であり、1874年(明治7年)から1879年(明治12年)まで石州大工が建築した。敷地奥の蔵2階の板図には「島根県宮下、石見國那加郡、第1大区小拾六区、浅利村大工棟梁、島田綱吉、明治十二年卯三月三十日」と記されており、嶋田綱吉により1879年(明治12年)建築されたことがわかる。 明治前期、嘉吉は本片山の総支配人をしており、分家後も角片山にて本片山の弁柄を卸す仕事をしていた。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 八幡宮
窪八幡宮
窪八幡宮(くぼはちまんぐう)は岡山県岡山市東区にある神社。旧社格は郷社。 == 祭神 == === 主殿 === 品陀和気命(応神天皇) 息長帯姫命(神功皇后) 仲哀天皇 伊邪那岐命 伊那那美命 === 相殿 === 姫大神 == 社歴 == 貞観元年(859年)8月23日 - 創建。 明治6年(1873年) - 郷社に列せられる。 明治40年(1910年) - 神饌幣帛料供進の神社に指定される。 明治43年(1913年) - 神社合祀令により、西隆寺の村社八幡宮、本村福治の村社八幡宮を合祀し、現在の祭神となる。 == 由来 == 伝承によれば、第58代清和天皇の時代、豊前国宇佐神宮を信仰し毎年参拝していた備前国上道群窪の庄内の領主藤原朝臣藤井左馬之進弘清が、老年になって参拝が不自由になり、領内に八幡神を勧請して信仰を尽くすため、窪庄内の氏神若宮の地に社殿を造営し貞観元年(859年)8月23日、奈良大安寺の僧行教に依頼し、豊前国に鎮座する宇佐神宮を勧請し、窪八幡宮として崇敬し弘清及び窪庄内の人々の氏神としたという。 この後、この勧請した神を主祭神とし、若宮を摂社として祭祀がなされるようになったという。 古くは、備前国四大社(吉備津彦神社、岡山神社、安仁神社、窪八幡宮)の1社に数えられ、代々藩主や豪商らの参詣・寄進が絶えなかった。 室町幕府初代将軍足利尊氏が備前国福岡に滞陣中、窪八幡宮に参詣し、社領として田畑二十余町を寄進されたことが記録されている。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 美術館
FAN美術館
FAN美術館(ふぁんびじゅつかん)は、岡山県備前市穂浪にあった美術館。 2017年6月に藤原啓記念館の同敷地内に併設する形で開館した。藤原啓などの人間国宝作品の他に、国際公募展・アートオリンピアの受賞作品、現代アートなど、多岐にわたる芸術作品を展示していたが、2023年9月10日より無期限の休館に入っている。 == 施設・常設展示品(2023年9月の休館前のもの) == 藤原啓記念館:藤原啓、藤原雄、古備前作品 東館:小企画展示 本館:企画展示 北館:アートオリンピアの受賞作品 L館:村上隆、横尾忠則等の現代芸術 本館1階:総合受付、茶室、ラウンジ、カフェ、ショップ 藤原啓工房:陶芸体験 庭園:屋外庭園 == 利用情報(2023年9月の休館前のもの) == 開館時間:9:30~17:00(入館は16:00まで) 休館日:火曜日 入館料:一般1200円、中高生以下無料 == 交通アクセス == JR赤穂線備前片上駅より、備前市営バス日生線寒河・福浦峠行き「興亜耐火前」バス停下車、徒歩で約5分。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 八幡宮
豊原北島神社
豊原北島神社(とよはらきたじまじんじゃ)は、岡山県瀬戸内市邑久町北島にある神社。応神天皇、神功皇后、比咩大神を祀る。旧社格は郷社。 == 沿革 == 舒明天皇6年(634年)より、この地に鎮座し比咩大神を祀ったのが起源と言われる。神社草創の時代は、山上にあった大岩に藁を敷き神座として磐座信仰を行っていたと当神社の古記録に見られる。神社のある山は古い時代には日待山(ひまちやま)と称し、太陽神として日の出を遙拝していたようである。 源平合戦の後、佐々木盛綱が藤戸の戦いでの先陣の功を感謝し、色々威大鎧(いろいろおどしおおよろい)をと、杏葉文轡(ぎょうようもんくつわ)を奉納したとされる。明治4年(1871年)に郷社に列した。 色々威大鎧は国の重要文化財、杏葉文轡は岡山県指定重要文化財に指定されている。 本殿は大正8年(1919年)に再建され、拝殿・幣殿・釣殿は昭和14年(1939年)に改築された。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 人物記念館
武蔵資料館
武蔵資料館(むさししりょうかん、Musashi Museum)は岡山県美作市の武蔵の里の宿泊施設・武蔵の里五輪坊にある資料館。 宮本武蔵作の絵画、彫刻、小柄、頬当などの武具・工芸品と、ゆかりの作品を展示。剣聖そして芸術家としての武蔵を紹介する。
サンプル
文化・伝統 📍 岡山県 🏷️ まつり
久世祭り
久世祭り(くせまつり)は、岡山県真庭市久世で10月24日~26日にかけて行われる祭りである。岡山三大だんじり祭りの1つ。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 教育博物館 ⭐ 登録有形
閑谷学校資料館
閑谷学校資料館(しずたにがっこうしりょうかん)は、岡山県備前市閑谷にある歴史的建造物及び展示施設。2001年に国の登録有形文化財に登録された。江川三郎八によって設計された。 == 概要 == 私立閑谷黌(しずたにこう)の本館として1905年(明治38年)に閑谷学校の学房跡地に建設された。国宝に指定されている閑谷学校講堂から徒歩数分の距離に位置している。設計は江川三郎八。私立閑谷黌は大正8年4月には中学閑谷黌と改称され、1921年(大正10年)4月には県立となり岡山県閑谷中学校となった。1948年(昭和23年)、学制改革により岡山県閑谷中学校は県立岡山県閑谷高等学校となる。翌1949年には岡山県立和気高等学校(現・岡山県立和気閑谷高等学校)と統合され、同校の閑谷校舎となった。1964年(昭和39年)4月、学校の統合と合理化のために閑谷校舎が閉鎖され、1965年(昭和40年)からは岡山県青少年教育センター閑谷学校(青少年教育施設)として利用される。
神社 📍 岡山県 🏷️ 式内社
天津神社
天津神社(あまつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区にある神社。天神社(てんじんじゃ)とも。式内社論社で、旧社格は村社。 == 祭神 == 少彦名命 == 歴史 == 平安時代中期の『延喜式神名帳』には式内社として「備前国御野郡 天神社」と記載があり、当社はその論社とされている。 領主の池田家からは除地社領として1反8畝を賜ったという。 江戸時代までは「天神宮」と呼ばれていたが、明治2年に現在の「天津神社」と改称した。また、近代社格制度では村社に列した。
美術館・博物館 📍 岡山県
勝山文化往来館ひしお
勝山文化往来館ひしお(かつやまぶんかおうらいかんひしお)は、岡山県真庭市勝山の体験交流施設。カフェを併設したギャラリー・ホールである。2005年(平成17年)6月に開館した。 == 沿革 == === 建物/元清友醤油醸造所 === 1890年(明治23年)清友醤油醸造所として創業し、1968年(昭和43年)に清友醤油店として創業、1972年(昭和47年)に廃業した醤油の醸造販売企業の跡地に建つ。廃業後、醤油蔵など建物の一部が真庭市に寄贈され、展示館となった。尚、寄贈されなかった清友家(旧清友醤油店)は2018年現在も住居として使用されているため非公開だが、勝山のお雛まつり期間中は、雛人形の公開展示で屋内を見学することができる。土間には、醤油醸造をしていた時代に敷設されたトロッコの軌道が残る。 === 寄贈から建物改築、現在までの経緯 === 文化活動の拠点をつくりたいという勝山地域住民の願いを受け、町並みの中心にあった地元の醤油蔵の寄贈を求めて、当時の町長が清友醤油醸造所に足しげく通った。”本当に文化的な事に使っていただけるのなら”という条件で、当時の勝山町が醤油蔵など土地建物の一部を譲り受けた。 行政・住民地域づくり団体から構成される「勝山・町並み委員会」で活用方法を検討され、地域と都市、観光客やアーティストとの交流を促進し、地域社会の文化を向上する場となるとともに、市民参加の増進おうながす公設民営の文化施設づくりを目指した。
神社 📍 岡山県
箆取神社
箆取神社(へらとりじんじゃ)は、岡山県倉敷市連島町西之浦の大平山中腹に鎮座する神社。旧社格は無格社。 == 祭神 == 豊玉姫命(とよたまひめ) 大綿津見命(おおわたつみのかみ) - 海神也 玉依姫命(たまよりびめ) 神使七十五社眷族 - 霊狐 == 歴史 == 箆取神社は水島地域西部の連島町(つらじまちょう)大平山の中腹にある神社である。創建年代は不詳であるが、連島は奈良時代には都羅之郷と称し、壬申の乱の頃に神官が神社のあった場所から南に広がる瀬戸内海を眺めていた時、海面に「箆」の神紋が顕れたことから箆取大権現と称したと云われている。 江戸時代初期までは,連島は瀬戸内海に浮かぶ孤島で、都から九州の大宰府を結ぶ海路で重要な位置を占めていたことにより海にまつわる伝承が多い。また連島湊が内陸の集散地として発展すると連島湊を利用する海運業者たちから海上安全の守り神として崇敬を受けて宝暦の頃には連島の総鎮守として信仰を集めた。広い境内の左右にめぐらされた長い廻廊に今でも往時の繁栄を見ることができる。なお、当社は崇敬神社につき氏子を持たない。 == 境内 == 周辺には桜、楓、ツツジが数百本植栽され、四季の変化が楽しめ、絵馬殿からの眺めは手前から西之浦の旧市街、水島市街と水島臨海工業地帯、遠方に水島灘と高梁川が臨める観光地ともなっている。 == 御利益 == 古くから地域一帯の海の守り神として崇められてきたほか、神使七十五社眷族 は火難除け・盗難除けの神として祭られており、毎年一月六日の寒入の日に参詣すれば1年間火事盗難にあわないと伝えられている。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 記念館
倉敷市立磯崎眠亀記念館
倉敷市立磯崎眠亀記念館(くらしきしりついそざきみんききねんかん)とは、岡山県倉敷市茶屋町にある記念館である。磯崎眠亀の旧宅およびい草の手織体験施設である「花むしろ工房」からなる。日本遺産「一輪の綿花から始まる倉敷物語」を構成する文化財の一つである。 == 概要 == 明治時代に花筵(かえん,はなむしろ)のひとつである錦莞筵(きんかんえん)を創作した磯崎眠亀の功績を記念し,眠亀が使用していた建物、作品及び関係資料を一般に公開するとともに、花莚の製作技術に関する学習の機会を提供することにより、市民の教養及び文化の向上に寄与することを目的として設立された。眠亀に関する資料や錦莞筵(きんかんえん)、眠亀が発明した織機の復元機を展示している。 建屋は、木造2階建の入母屋造本瓦葺であり、1874年(明治7年)に眠亀の住宅兼作業場として建築された。その後、修理を経て、1988年(昭和63年)に「倉敷市立磯崎眠亀記念館」として公開された。建屋の特徴として、荷物の搬送のために1階と2階とはスロープで結ばれており、さらに土間の吹き抜け部分には滑車が取り付けられている。式台形式の玄関の戸は、菱形の桟(さん)が入り、回転と横滑りによって開閉する。2階の窓に取り付けられた雨戸は、外に向けて突き出す動きをする。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 八幡宮 ⭐ 重文
本荘八幡宮
本荘八幡宮(ほんじょうはちまんぐう)は、岡山県倉敷市児島通生(こじまかよう)にある神社。祭神は品陀別命、足仲彦命、息長帯比売命。社格は郷社。 == 概要 == 社伝によれば、大宝元年(701年)に行基が神宮寺八幡院(現・通生山般若院)を開き、その鎮守として宇佐神宮より勧請したのが始まりと言われる。児島通生十二ヶ村の総鎮守となった。神宮寺の社僧が奉仕した。 平安時代初期の延暦23年(804年)坂上田村麻呂が瑜伽山の賊徒を平定し報賽として神封150戸を寄進したとされる。鎌倉時代中期の建治2年(1276年)には熊野山の神領が分与された。弘安2年(1279年)には社領80石の朱印が下された。 室町時代中期の文明14年(1482年)近隣の本太城主源政縄・政吉が当社を襲撃し末社を破却した。
美術館・博物館 📍 岡山県
高梁市郷土資料館
高梁市郷土資料館(たかはししきょうどしりょうかん)は、岡山県高梁市向町にある市立郷土資料館。1978年に郷土資料館として開館した。3,000点以上の民具を展示している。1904年竣工の建物は「旧高梁尋常高等小学校本館」の名称で高梁市の有形文化財に指定されている。 == 歴史 == 日露戦争中の1904年(明治37年)に高梁尋常高等小学校本館として建設された洋風木造建築である。地元の臥牛山の国有林から採れた、柾目で節がない良質な樅材を用いて建てられた。工事監督主任は大工の妹尾友太郎であるが、妹尾は建築の近代教育を受けていない人物とされている。1階は職員室や生徒控室などであり、2階は講堂である。講堂には桃山風の二重折上格天井が用いられている。なお、一般教室は南側(後に高梁市立高梁中央図書館が建った)や北側に接続していた。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 羽黒神社
羽黒神社 (倉敷市)
羽黒神社(はぐろじんじゃ)は、岡山県倉敷市玉島にある神社である。 == 由緒 == 当社は玉島旧市街の真中の小高い羽黒山にある神社で、かつては瀬戸内海の小さな島であった。万治元年(1658年)備中松山藩主の水谷勝隆が玉島地方の新田開発の際、出羽国羽黒山の出羽神社を勧請し建立した。その後、商港として繁栄した玉島湊周辺の住人や湊に出入りした北前舟などの商人に信仰を集め、2代目藩主水谷勝宗により寛文5年(1665年)に社殿が改築された。 現在の本殿は嘉永3年(1845年)、拝殿は安政4年(1852年)に再建されたものである。また、昭和45年(1970年)から昭和48年にかけて第二次世界大戦時に掘られた防空壕処理のため羽黒神社会館を建設し、その屋上が境内として拡張されている。 == 祭神 == 玉依姫命、素戔烏尊、大国主神、事代主神 == 神徳 == 福徳成就・縁結び・商売繁盛 === 祭事 === 5月第2土・日曜日 : 住吉神社・水谷神社御例祭 8月第1金・土曜日 : 天神祭 10月第2土・日曜日 : 秋季例大祭 ※本殿周囲に七福神が祀られ毎年4月第1日曜日の祈年祭に合わせて七福神祭が行われる。
美術館・博物館 📍 岡山県 🏛️ 歴史博物館🏛️ 民俗博物館
備前市歴史民俗資料館
備前市歴史民俗資料館(びぜんし れきしみんぞくしりょうかん)は、岡山県備前市東片上にある博物館。 == 施設 == 1階 企画展示室 セラミックス室 2階 文芸室 民俗室 == 主な展示品 == 備前焼、耐火レンガ 文学 正宗白鳥、正宗敦夫、柴田錬三郎、藤原審爾 儒学 熊沢蕃山 生活民具・農具・漁具 閑谷学校 三石城 片上鉄道 鶴山丸山古墳 お歯黒 第二次大戦資料 == 利用情報 == 開館時間:午前9時~午後4時30分 休館日:毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始(12/29~1/3) 入館料:無料 == 交通アクセス == JR赤穂線備前片上駅より徒歩5分。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 稲荷神社
千代稲荷神社
千代稲荷神社(せんだいいなりじんじゃ)は、岡山県津山市にある神社。旧社格は無格社。氏子はないが、町内外から参拝者が訪れている。 == 祭神 == 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと) 土祖神 == 歴史 == 創建は承平4年(934年)とされている。元々は鶴山八幡宮の摂社として鶴山の中腹に立地していたが、森忠政が慶長9年(1604年)の津山城築城時に、城南の覗山に八幡宮と共に移築、次いで慶長13年(1608年)に八子に移された。しかし、寛永11年(1634年)に津山藩2代藩主森長継の夢に現れ、「鶴山に遷れば永世城の鎮護とならん」というお告げにより祠を城郭の北隅の石垣の下(現在地から五丁程北の場所)に移され、さらに天和3年(1684年)、3代藩主森長義によって現在の場所に移された。江戸時代は千代権現と呼ばれていた。 == 境内 == == 文化財 == === 重要文化財(市指定) === 本殿(建造物・平成15年(2003年)2月17日指定) 天和3年(1683年)に上棟。 == 現地情報 == 所在地 岡山県津山市山下82 交通アクセス 最寄り駅:JR姫新線・津山線 津山駅下車、徒歩で約17分(北に約1.4km)。 周囲 鶴山公園の東に位置し、赤い鳥居と大きな提灯が目印。
サンプル
文化・伝統 📍 岡山県 🏷️ 御田植祭
吉備津彦神社の御田植祭
吉備津彦神社の御田植祭(きびつひこじんじゃのおたうえさい)は、岡山県岡山市北区一宮の吉備津彦神社で催される御田植祭である。1964年(昭和39年)に岡山県の無形民俗文化財に指定され、1979年(昭和54年)に国の選択無形民俗文化財に選ばれた。
神社 📍 岡山県 🏷️ 式内社⛩️ 三輪神社
美和神社
美和神社(みわじんじゃ)は、岡山県瀬戸内市長船町東須恵にある神社。祭神は大物主命。式内小社。長船町内にはもう一社同名の美和神社がある。社格は郷社。 == 概要 == 広高山(166m)の山上に鎮座する。広高山は古来、三和ノ峰と呼ばれており、奈良県の三輪山と同様に神体山として崇められてきた。広高山の北麓には築山古墳・札崎古墳群、南麓にはサザラシ古墳群などの古墳が見られ、周辺は古来より人が住んでいた地域であった。 広高山の名の由来には、神功皇后の愛馬「白鷹」に因んだ以下の伝説がある。神功皇后が牛窓の蕪崎に船で逗留中、白鷹が誤って海に落ちた。
美術館・博物館 📍 岡山県
赤磐市吉井郷土資料館
赤磐市吉井郷土資料館(旧仁堀尋常高等小学校本館)(あかいわしよしいきょうどしりょうかん(きゅうにぼりじんじょうこうとうしょうがっこうほんかん))は、1927年(昭和2年)に建築された旧仁堀尋常高等小学校本館を移転・縮小改築した建造物。2007年(平成19年)に登録有形文化財に登録され、郷土の民俗資料や学校関連の資料を展示している。 == 概要 == 1927年(昭和2年)に赤磐郡仁堀村に仁堀尋常小学校の本館として新校舎が建設される。 当時の仁堀尋常小学校は郡北部の5か村の中心的伝統校であり、多くの卒業生を送り出したが、 農村の急激な過疎化により統廃合が相次ぎ、1981年(昭和56年)閉校した。 しかし解体を惜しむ多くの学区民、卒業生から保存を望む声が寄せられ、 せめて記録に留めようと自主研究として実測調査が行われ始めた。 その結果解体方針が再検討され、この校舎そのものが郷土の歴史的資料として寛容され 1984年(昭和59年)に吉井郷土資料館として残されることとなる。 本来建っていた場所に建てられることが望まれたが、新しい施設に期待される多くの住民への利便性、 円滑な管理運営、校舎跡地の有効活用などのいくつかの課題を解決するために現在の場所に移築されることとなった。 そして2007年(平成19年)5月15日、吉井郷土資料館は登録有形文化財に登録される。 == 沿革 == === 小学校の開設から廃校まで === 1869年(明治2年) - 仁堀中に校舎を設置し、教育を開始。 1875年(明治8年) - 仁堀東に校舎を新築、第23番学区仁堀小学校と改称。
神社 📍 岡山県
吉備津岡辛木神社
吉備津岡辛木神社(きびつおかからきじんじゃ)は、岡山県岡山市中区にある神社。祭神は吉備若武彦命である。備前国総社神名帳に掲載されている式外古社である。旧社格は村社。 == 概要 == 操山丘陵東部の笠井山東側山腹に位置する。 備前国式内式外128社のうちの一つである。平安時代前期の貞観5年(863年)頃に作成された備前国総社神名帳にその名が記載されており、平安時代にはすでに創建されていたことが窺える。 祭神の吉備若武彦命(きびわかたけひこのみこと)は、吉備津彦命の弟で当神社の周辺を平定したと伝わる。 古くは、吉備明現宮と言い現在の鎮座地より西にある笠井山の山上にあった。現在の社殿は幕末に建造されたものである。
神社 📍 岡山県 🏷️ 論社🏷️ 国幣社
高野神社 (津山市高野本郷)
高野神社(たかのじんじゃ)は、岡山県津山市高野本郷にある神社。式内社論社、旧社格は郷社。 == 祭神 == 祭神は以下の3柱。これら神々により当地が開墾され繁栄がもたらされたといい、総称して「高野造祖大神」と呼ばれている。 主祭神 鵜葺草葺不合命 (うがやふきあえずのみこと) 相殿神 応神天皇 神功皇后 古くは、祭神は鵜葺草葺不合命1柱であったという。鎌倉時代以降、八幡神の応神天皇・神功皇后が加えられた。 == 歴史 == === 概史 === 創建年代は不詳。平安時代前期の貞観6年(864年)に従五位に叙せられたと、初めて文献に登場する。貞観17年(875年)には正五位下に昇進している。 『延喜式神名帳』には「美作国苫東郡 高野神社」の記載があり、当社はその論社とされている。
神社 📍 岡山県
青江神社
青江神社(あおえじんじゃ)は、岡山県倉敷市にある神社。旧社格は村社。青江鍛冶にゆかりある神社として知られる。 == 祭神 == 主祭神 五十猛命(イソタケルノミコト) 素盞鳴命(スサノオノミコト) 五十猛命や素盞鳴命は、吉備穴海や高梁川接点の津の神として崇敬されていた。 金山彦神(カナヤマヒコノカミ)・金山姫神(カナヤマヒメノカミ) 鎌倉から室町時代に栄えた青江鍛冶の守護神として崇敬されていた。 == 歴史 == 平安時代に山岳仏教の聖地である福山山頂にあった福山寺の守護神として東西に分けて2つの王子権現が建立され、本社は西の王子権現が前身に当たる。『黄薇史』によれば、後醍醐天皇治世の建武年間には西郡村福山城主であった大江田式部大輔氏経が社領50石を寄進したとされる。1336年(延元元年)5月、氏経は新田勢の主将として1500の兵で30万の足利勢と応戦し3日間奮闘したが全滅したとされ、その戦いの際に社寺は悉く焼失したとされる。その後、正親町天皇治世の1578年(天正6年)、西郡村高山城主石川左衛門尉久式が社領20石を寄進したとされる。1914年(大正3年)境内摂社荒神社、境外摂社疫神社を境内神社とし、無格社であった金山神社を同年5月に本殿へ合祀した。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 八幡宮
糸崎八幡神社
糸崎八幡神社(いとさきはちまんじんじゃ)は、岡山県井原市芳井町西三原に鎮座する神社である。 == 祭神 == 誉田和気命(応神天皇)と息長帯比売命(神功皇后)を祀る。 == 由緒 == 寛正2年(1461年)に備後国納所村(現在の広島県三原市)桜山城主の三原豊後守広吉が落ち延びて来て三原三郎四朗と称し、西川手村を西三原村と改め、神社を創建して氏神としたのが始まりと言われる。 明治39年(1906年)10月18日に本殿ならびに社殿を改築し、大正9年(1920年)に摂社の荒神社、水分神社、太歳神社を合祀した。 == 祭祀 == 例祭に岡山県の無形民俗文化財である三原渡り拍子や巫女舞が奉納され、神幸祭や湯立て神事が行われる。 == 社殿 == 本殿は桁行3間梁間2間の入母屋造平入で正面に千鳥破風と唐破風を飾る。 == 交通 == 道路:岡山県道・広島県道9号芳井油木線を利用。井原市道沿い。
神社 📍 岡山県 ⛩️ 八幡宮
八幡神社
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、岡山県津山市志戸部にある神社。 == 祭神 == 主祭神 誉田別尊(ほむたわけのみこと) == 歴史 == === 概史 === 創建年代は不詳であるが、仁徳帝の時代に帰化した秦氏の祖を祀ったと伝えられている。
神社 📍 岡山県 🏷️ 式内社⛩️ 三輪神社
美和神社
美和神社(みわじんじゃ)は、岡山県瀬戸内市長船町福里にある神社。祭神は大物主命。式内小社の論社で、長船町内にはもう一社同名の美和神社がある。社格は村社。美和大明神とも呼ばれる。 == 概要 == 社伝によれば、奈良県桜井市の大神神社から勧請されたと伝えられている。勧請年代は不明である。また、長船町東須恵の美和神社から分祀したとの言い伝えもある。 『延喜式神名帳』、『備前國式社考』によれば神階は従三位、応永(1394年 - 1427年)・明応(1492年 - 1501年)の神階記によれば正三位となっている。 口伝によれば、神社は一時期廃絶していたが江戸時代の延享3年(1746年)に岡山藩に対し再興を願い出た。